わたしの物語

発病から回復へ、あなたの物語を語ろう

発病から回復へ、あなたの物語を語ろう

default ひでこ(制作者)

2019年01月21日 14時16分

専業主婦    うつ病   

仕事をやめて専業主婦になったことでうつ病に【双極性障害 完治しました】

default default

私が結婚した約30年前は「男は外で働き、女は家庭を守るべきで ある」という性別役割分業意識が強い時代でした。専業主婦という立場はプログラマーとして働いていた私にとって、とても耐え難い環境でした。

プログラマー業界は、長時間労働が常態化していました。今のように「男女雇用機会均等法」も「育児休業法」もない当時は、仕事を辞めるしか選択肢はありませんでした。というか、私自身が性別役割分業意識にとらわれすぎていて、他の選択肢を考えられなかったのです。



やりがいという点で、プログラマーという仕事は、主婦の家事育児という仕事とは比べものになりません。

なぜなら、男性であるか、女性であるかということより、成果物(つまり、プログラム)の善し悪しで判断されるため、女性であることがハンディにならず、周囲からも正当に評価されるからです。

そんな経験を9年間も味わってしまった私にとって、専業主婦という立場は苦痛以外の何ものでもありませんでした。

ついに精神的に追い詰められ、育児の重労働も重なって、うつ病になってしまいました。



ここで、主婦の家事育児が、なぜ苦痛なのか、仕事と比較してみます。

家事育児の場合

やって当たり前とされ評価されない

会社勤めのように明確な休日がない

働く場所が自宅なので、常に目の前に仕事があり、気持ちが休まる時間がない

ひとつひとつは簡単な作業のようでも、細かく雑多な作業が無限にある

育児は、子どもの命がかかっているため、精神的な重圧が大きく、しかも、責任の重大さが理解されずに、十分なサポートも評価も得られない

作業と作業の間の細切れな時間しか休息時間がない

自分のペースで生活できない

365日24時間、拘束時間である

病気になってまでも、夕食の準備や子どもの世話を強いられる

ほとんどすべてのことで、夫や子どもを優先せざるを得ない、あるいは、そうするのが当たり前だと自分も家族も思い込んでいる

収入がないため、夫の稼いだお金だ、という引け目から自分のためにお金を使うことに抵抗感がある。家族で外食に行っても、食べたいものより安いものを頼まないといけないという意識になり、自分の方が夫より立場が弱い気分になって、卑屈な気持ちなる

全体的に、自己評価が低くなる要素が多い



仕事の場合

目に見える成果物がある

顧客や上司・同僚など多くの人に喜ばれ、評価が得られる

報酬が支払われる

拘束時間が限られている

働く場所が自宅ではないので、プライベートと分離できる

自分で稼いだお金なので、堂々と自分のために使うことができる

病気や自己都合で休むことができ、休みの日は自由に過ごせる

与えられた業務を期限内に仕上げること以外に制約はなく、その範囲内で自分のペースを保つことができる

全体的に、自己評価が高くなる要素が多い



こうしてみると、専業主婦がいかに精神的に追い込まれる要素を多く含んでいるか、わかってもらえるのではないでしょうか?



一度でも会社で働いた経験のある方なら、専業主婦のような労働環境で働く気にはならないのではないかと思います。




2023年01月28日

default ひでこ(制作者)

あいさん
お返事ありがとうございます。

私のうつ病が治ったのは、医者や薬の力ではなく、専業主婦という尊厳が保たれない環境で、無理してできない我慢をしていたことに気付き、環境を変えていくことができたからです。

それが実現できたのは、
①納得できる治療をしてくれない医者は遠慮なく取り替えて他の医者を探すこと
②多剤大量処方だった薬を減らしてくれる医者を探し当てたこと
③デイケアという自宅以外の、妻でも母親でもない自分としていられる居場所があったこと
④子どもの独立で自分の部屋が確保できたこと
⑤薬についてやジェンダー差別などについて勉強したこと
などです。

病院や医者は頼るのではなく、うまく活用して、自分の望む未来を実現してくださいね


2023年01月27日

default あい

ひでこさま

詳細に教えてくださり誠にありがとうございます。。!!
本当にありがたく思います。
やはりきちんと病院に行かないと治らないですよね。。
きちんと話をしてみます。


2023年01月27日

default ひでこ(制作者)

→続き
就職後は、デイケアでお世話になっていた、認知行動療法の講師のカウンセラーさんにお世話になっていました。順調に働き続けている様子を見て、「薬はやめられるよ。やめて元気になった人が何人もいるよ」と言われ、やめたいと思うようになりました。

医師に相談したところ、急減薬を指示され、指示された量で減らしたところ、強烈な動悸が出てパニックになりました。

その後は、薬をもとに戻して、減断薬について研究しました。

その頃始めたブログがこれです。
https://sayonarabenzo.hatenablog.com

まずは、ベンゾ以外の双極性障害の薬(リーマス・ロナセン)を断薬するために転院し、医師の「あなたは双極性障害ではない」との診断を得て、双極性障害の薬(リーマス・ロナセン)を一気断薬しました。

断薬後しばらく様子を見てから、綿密な計画を立てた上で、ベンゾの減薬に着手しました。

また、その頃、上の子が独立したことを機に、自分の部屋を確保することができました。それまでは、狭くて薄暗い台所が私の唯一の居場所で、寝るときは娘の部屋の一角にお邪魔しているような状況でした。

自分の部屋を確保できたのは、心身の回復のために大いに役立った出来事でした。

双極性障害の薬(リーマス・ロナセン)をやめた時に通っていた病院は、私は絶対発達障害だと言って譲らない医師だったので、ベンゾ減薬のために転院しました。

ベンゾの離脱症状もあり、仕事はやめてこのサイトを作り始めました。

その頃から、私のうつ病は、ジェンダー差別が原因だとの思いを強くし、フェミニストセラピィに通って、妻・母親役割のために、ほとんどの望みと尊厳を諦めてきた今までの考え方と環境を変えたことが、うつ病が治った理由です。

もう精神科に通い始めてから28年、減薬を始めてからは7年になります。

あいさんもまずはご自分を一番大切にして過ごしてくださいね。そうすれば何か変わるかもしれません。


2023年01月27日

default ひでこ(制作者)

あいさん
コメントありがとうございます

参考になるかわかりませんが、私がうつ病になってから今までの経過をお伝えします。

上の子が2歳8ヶ月の時に第2子が生まれたのですが、その半年後にうつ病になりました

原因は、「母親」という過酷な労働環境で疲れ切ったこと、夫は何も協力しない上に、夫だけが自分の時間を確保して当たり前の状況だったこと、そして仕事に戻れないこと。これらによる、疲労や怒りです。

最初の13年間は、なんの説明もないまま薬を出すだけの病院3件に通院していました。

しかも病気なのに相変わらず家事育児は休めませんでした。

4件目の病院で初めて、自立支援を受け、障害者手帳をもらい、障害年金ももらえるように手配してもらいました。その病院でカウンセリングも受けました。

また、デイケアがある病院だったので、認知行動療法や、SST(ソーシャルスキルトレーニング)などを学びました。また、家以外の居場所としてデイケアに通ったのは、心身の回復に役立ったと思います。

そこの病院で、うつ病から双極性障害Ⅱ型に診断が変わり、薬が大幅に減りました。

薬が減ったことも、回復の役に立ったと思います。

デイケアで、双極性障害と薬についての授業を受けて勉強したことも、薬を不安なく減らすことに役立ったと思います。

うつ病の薬から双極性障害の薬に変更する過程で、心身共にとても辛い時期があり、3週間ほど精神科病院に入院しました。でも、幸いなことに(?)、入院中に胆嚢炎の発作を起こし、手術をするために、精神科病院は退院しました。それがなければ、いつ退院できるかわからないところでした。

その後、元の病院に戻り、デイケアに通い続けるうちにだんだん回復していきました。

そのうちに、欲が出てきて、就労移行支援事業所に通い始め、それがきっかけで、就職することができました。
続く


2023年01月26日

default あい

ひでこさま

わたしも、子育てを機に仕事を辞め、精神病になってしまいました。
もしよろしければ、どのようにして治ったのか教えていただけませんでしょうか?


投稿者プロフィール
default ひでこ(制作者)


カテゴリで検索する
仲間をみつけよう
キーワードで検索する
タグで検索する